大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和39年(う)445号 判決

被告人 森賢一 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人森賢一の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人森賢一作成名義、同被告人の弁護人安藤巌作成名義二通、同安藤巌、同大脇保彦共同作成名義、同花田啓一作成名義、同大矢和徳作成名義、同尾関闘士雄作成名義の各控訴趣意書、および、被告人森賢一作成名義、同被告人の弁護人安藤巌作成名義、同長屋誠作成名義の各控訴趣意補充書(いずれも前記控訴趣意書の控訴趣意を補充する部分)、ならびに、名古屋高等検察庁検察官提出にかかる名古屋地方検察庁検察官検事上田朋臣作成名義の控訴趣意書に各記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

弁護人花田啓一の控訴趣意中原判示第一の事実に関する論旨について。

所論は要するに、原判決は判示第一の行為を有罪としているが、右行為は警察官の違法な写真撮影に対する抗議デモであり、行進又は集団示威運動に関する愛知県条例(愛知県条例昭和二四年第三〇号、昭和三六年一〇月三日愛知県条例第四三号による改正前のもの、以下県条例と略称する)所定の許可申請手続をなす余裕はなく、また許可申請手続をしていたならば抗議としての効果が全く期待しえなかつたのであるから、被告人らに許可申請手続をすることを期待することは不可能であり、結局被告人らの右行為は期待可能性がなく無罪とすべきであるのに、これを有罪としたのは事実誤認ひいては法令適用の誤りである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠によれば、原判示第一の事実における警察官の写真撮影は、被告人らの指導する集団示威行進が愛知県公安委員会の付した許可条件に違反して蛇行進を開始したことから、その状況を証拠保全するためになされたもので、もとより適法な職務行為であつたことが認められるから、これに対する被告人らを含む学生達の警察官に対する抗議はそれ自体理不尽なものであり、これを口実に公安委員会の許可を受けず原判示の集団示威行進を敢行したもので、右行為が県条例五条の規定に違反することはいうまでもなく、所論のように期待可能性のない行為と解することはできない。従つて、原判決には所論のような事実誤認ひいては法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

弁護人安藤巌の控訴趣意中事実誤認について。

所論は要するに、原判決は原判示第二において、被告人森賢一と被告人須藤(旧姓高木)が学生約三、〇〇〇名位と共謀したと認定しているが、右判示の集団示威行進当時被告人須藤は既に逮捕されていた名古屋大学学生林銃吾の釈放要求のため中村警察署へ出掛けていたのであり、右示威行進に参加していなかつたにかかわらず、右について共謀関係を認めたのは事実誤認であり、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論は、控訴を取り下げた被告人須藤のアリバイを主張し事実誤認を論旨とするものであるが、被告人森賢一も右被告人須藤と共謀したと認定されているので、この点被告人森について全く関係のない論旨ということができないので、これを検討するに、原判示第二の県条例違反、道路交通取締法違反の行為を被告人須藤が被告人森外学生多数と共謀のうえ敢行したものであることは、原判決挙示の各証拠によつて十分認めることができる。従つて、原判決には所論のような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

弁護人大矢和徳の控訴趣意および同花田啓一の控訴趣意中法令違反を主張する論旨について。

所論は要するに、本件罰条である県条例は憲法二一条および同法九四条に違反し無効であり、しかも、県条例は憲法外権力たる占領軍の「勧告」により強制されて制定に至つたもので無効であるにかかわらず、これを合憲、有効とした原判決には法令適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、県条例が憲法二一条および三一条に違反するものでないことは、既に最高裁判所の判例(昭和三八年一二月六日第二小法廷判決)とするところであり、当裁判所も右判例の趣旨に従うものである。すなわち、集団示威行動が憲法二一条の保障する表現の自由の一形態であり、とくに政治目的を主とするそれは国家権力の逸脱を抑制することを目的とし、多分に参政権的要素を併せもつ表現手段であり、また、所謂マスコミによる表現手段を持たない、いわば表現手段における弱者ともいうべき一般市民、勤労者大衆が政治目的等を表現するに有効な手段であることを考慮するならば、集団示威行動はその自由を最大限に保障さるべきものであることは所論のとおりである。とはいえ、いかに憲法により保障された権利であつても無制限に行使できるわけのものではなく、現行憲法秩序の範囲内で適正に行使さるべきものであることはいうをまたない。されば、憲法上保障された権利の行使でもそれが公共の福祉と衝突する場合憲法秩序にもとづくある程度の制限に服することのあることはけだしやむをえないところである。その意味において、県条例が集団示威行動について、公共の安全を保持し、公衆の道路等を使用する権利を保護するために、行進又は集団示威運動が道路、公園若しくは広場を行進し又は占拠する場合に限り、同条例所定の制限を加うべき旨規定していることは憲法秩序内における最小限度の制限ともいうべきものであり、それが乱用にわたらない限り、憲法二一条の規定に違反するものでないことは明らかである。ついで、県条例が憲法九四条に違反するか否かを検討するに、県条例五条の罰則規定は地方自治法二条三項一号に明示されている「地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全、健康および福祉を保持すること」に関して制定され、同法一四条一項、五項にもとづき限定された範囲内で刑罰を科するもので、公安委員会に対して集団示威運動等を許可する際に、地方公共の秩序を維持し、住民、滞在者等の安全を確保する見地から必要最小限度の条件を付する権限、すなわち条件付与によつて犯罪構成要件を補充する権限を与えているのであるが、前記条例の性質上地方自治法一四条五項の委任の趣旨に反するものではなく、また、本件罰則規定にある公安委員会が定める条件は同委員会において公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合にのみ付するのであり、しかも公安委員会が付した条件は予め集団示威行動の主催者、指揮者等に了知されうる性質のものであつて、集団示威行動の行なわれる前に具体的に許可条件を示されることによつて犯罪構成要件が補充され、集団示威行動の時点において、どのような行動が許可条件違反として禁止されるものであるかが明瞭となるのであり、これらの点からみれば、本件罰則規定が罪刑法定主義にもとるものでないことはいうまでもない。これを要するに、公安委員会が条件を付することによつて構成要件を補充する規定方式は、集団示威行動の自由と公共の福祉との調整措置を可能にするための合理的必要性にもとづくものであつて、地方自治法一四条による委任の趣旨に反するものでなく、もとより憲法九四条に違反するものでないことは明らかである。更に、所論は、県条例は憲法外権力たる占領軍の地方自治体に対する「勧告」という名の強制によつて作り上げられたもので無効であるというので考察するに、なるほど、当審証人長谷川正安の供述によれば、県条例が占領軍による勧告あるいは示唆にもとづき愛知県議会によつて可決制定されたという事情を窺い知ることができるが、いやしくも県条例は憲法九四条、地方自治法一四条一項、二条二項三項等の憲法および国内法にもとづき、愛知県民を代表する愛知県議会により適法に可決制定されたものであるから、何ら無効とさるべきいわれはなく、制定当時において県条例が県民の意志に反するものであつたと解することはできない。所論のように、条例制定の経過のみを捉えて条例そのものの有効無効を論ずるのは妥当でなく、もし、所論を推し進めるならば一部の学者の説くごとく現行憲法すらその制定の経過からみて無効であるという論理も成り立ちかねない。しかるに前者を是とし、後者を非とするのは矛盾というのほかはない。すなわち、制定に至るまでの経過がどうであれ、憲法および国内法の規定にもとづき適法な県議会の議決を経て制定された県条例が有効であることは明らかである。論旨はいずれも理由がない。

弁護人尾関闘士雄の控訴趣意について。

所論は要するに、原判決は被告人らの行為に対し道路交通取締法を適用処断しているが、同法は道路における危険防止およびその他交通の安全を図ることを目的として制定された法律であつて、基本的人権である表現の自由の行使形態である集団示威行進を取締る目的で制定されたものでないのに、本件各行為に道路交通取締法を適用した原判決は法令の適用を誤つたものであり、右法令適用の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

右所論を検討するに、道路交通取締法二五条、二九条一号は道路において交通の妨害となるような行為を禁止し、これに違反した者を処罰する旨を規定し、原判決がその判示第二、三、四の各事実のうち道路上にすわり込みを行い交通を妨害した行為に右規定を適用処断していることは所論のとおりであるが、県条例は前説示のように公共の安全を保持し、公衆の道路等を使用する権利を保護する目的をもつものであり、道路交通取締法は道路における危険を防止し、その他交通の安全をはかることを目的とするものであつて、右両者はそれぞれその範囲において一部重複するものがあるとはいえ、結局その保護法益を異にするのであるから、集団示威行動が公安委員会の付した条件に違反したものとして公安条例違反の罪が成立する限り、その罪の内容をなす行動が同時に原判示のごとく交通頻繁な道路上に相当長時間にわたつてすわり込みをし交通の安全を阻害した内容のものである場合においては、前記道路交通取締法の規定にも違反し、同法違反の罪の構成要件を充足するものであることは明らかである。従つて、原判決がその判示第二、三、四の各行為のうち前記道路交通取締法の規定に違反する所為につき同法違反の罪が成立すると解し、同法を適用処断したのは相当であつて、所論のような法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

被告人森賢一名義、弁護人安藤巌、同大脇保彦共同名義の各控訴趣意、および、同花田啓一の控訴趣意中抵抗権に関する論旨、ならびに、被告人森賢一名義、弁護人安藤巌名義、同長屋誠名義の各補充控訴趣意について。

所論は要するに、被告人らの各行為は、いずれも、日本国憲法の基本原則である平和主義に明らかに違反する「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(以下新安保条約と略称する)が政府および与党の反議会主義的行動により成立せしめられることとなつたため、この条約の成立を阻止し、併せて政府および与党の反議会主義的行動により危機に陥し入れられたわが国民主主義を擁護するとの極めて急迫した目的の下にとられた行動であつて、その目的は正当であり、手段、方法も相当である。そしてその行動により擁護しようとした法益も、その行動によつて侵害された法益に比較して優越するものであるから、実質的に違法性を阻却し罪とならないものであるし、また一面、右のごとく日本国憲法の基本原則である平和主義、民主主義が蹂躪されようとする事態に抵抗して、憲法秩序を擁護するための抵抗権の行使でもあるから、この点からも罪とならないものである、しかるに、これら違法阻却事由について何ら顧慮することなく、被告人らの行動を犯罪として処断した原判決は違法であり破棄さるべきである、というのである。

右所論について、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌のうえ検討し、次のとおり判断する。

先ず被告人らの本件行動の目的が正当であるとの理由として言及しているところの新安保条約が違憲無効のものであるかどうかについて考えてみるに、一般に条約が憲法八一条に規定する裁判所の違憲審査の対象となるか否かについては議論の分れるところであるが、条約については、特に憲法八一条の違憲審査対象から除かれているし、国家間の合意という特質をもち、しかも極めて高度の政治的内容を含むことが多く、純司法的機能を本来の職責とする裁判所の審査の対象とするになじまない性質のものであるから、憲法は条約の形式的締結手続の審査は別として、実質的審査は原則として裁判所の権限外においたものと解せられる。特に、新安保条約は、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもので、その実質的内容が違憲か否かの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくないのであるから、右条約の内容が実質的に違憲か否かの法的判断は、条約の内容が一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、内容が実質的に違憲か否かは、第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべきであり、終局的には主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものである。そこで新安保条約の内容が一見明白に違憲か否かを検討するに、同条約は、わが国の安全保障のためにふさわしい方式または手段で国際情勢に即応して適当なものと認めて内閣が締結し、国会がこれを承認したものであることは明らかであり、同条約はわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持するためにアメリカ合衆国軍隊のわが国における駐留を認め、これによつてわが国の防衛力の不足を補うとするもので、右条約によつて認められた駐留軍隊が外国軍隊であつてわが国自体の戦力でなく、これに対する指揮権および管理権もすべてアメリカ合衆国に存し、わが国には自国軍隊に対すると同様の指揮権管理権がないことは明らかであり、また、右条約三条は「日米両国は個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助および相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を維持し発展させる」旨規定しているが、同条はかかる防衛能力の維持発展の義務を「憲法上の規定に従うことを条件」としてのみ定めているのであるから、右条約自体としては憲法に違反するような軍備の維持促進をわが国に義務づけたものということはできず、また、同条約五条一項は「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と規定しているが、これは日米両国の相互防衛義務を明らかにしたものであり、そこにおいて義務づけられている行動は、わが国の施政下にある領域という限られた地域内において日米両国のいずれかに加えられた武力攻撃に対処するための防衛的性格であること、わが国の防衛力を補うため、わが国およびわが国を含む極東の平和と安全を維持するためにのみ行使さるべきことを条件として、他国軍隊の駐留を認める以上、右駐留他国軍隊に対する武力攻撃は、同時にまたわが国の平和と安全に危険を生ぜしめるものといえないこともないが、かかる攻撃に対処するため行動を義務づけられたとしても、それは必ずしも自衛行動の範囲を著しくこえるものとは認め難いこと、わが国が義務づけられている行動は、日本国憲法上の規定および手続に従うもののに限られていること、しかも右防衛措置自体、右条約五条二項の規定によつても明らかなように、国際連合安全保障理事会が必要な措置をとるまでの暫定的なものにすぎないことなどを併せ考えると、新安保条約がその内容において憲法九条の規定に違反し、違憲無効であることが一見明白であるということはできない。従つて、新安保条約の内容が実質的に違憲か否かを判断することは前説示のとおり裁判所の司法審査権の範囲外にあると解すべきである。更に、新安保条約が日本国の平和を脅かす性質を有するか否かについても、国際情勢に対する認識の方法あるいは立場によつて相異つた評価が可能なのであるから、必ずしも同条約がわが国の平和を脅かし、わが国が戦争に巻き込まれる危険が明白であるとまでは断定しえない。

しかして、新安保条約は、昭和三五年五月二〇日午前零時六分から開かれた衆議院本会議において有効な手続によつて承認があつたものとされ、かつ、同年六月一九日の経過とともに憲法六〇条により参議院においても承認したものとみなされたものとして、同月二三日に官報により公布されたものであることは公知の事実であるから、右のごとく国会において新安保条約が適法な議決によつて承認されたものとされ、適法な手続によつて公布されている以上、裁判所は右新安保条約は適法有効に国会の承認を受けたものと認めざるをえない。

もつとも、証人穂積七郎に対する原裁判所の尋問調書、押収してあるエコノミスト安保にゆれた日本の記録一冊(証一三一号)の各記載、および、当審証人横山利秋、同信夫清三郎の各供述によれば、昭和三五年五月一九日夜から翌二〇日にかけ、衆議院において新安保条約の審議が打ち切られ、与党のみの単独採決により同条約が承認可決されたことに対し、右採決に至るまでの政府与党の態度は、国会の議事手続に反し無効の採決を強行したものであつて、議会主義に反し民主主義を危機に陥し入れるものであるとの非難が野党をはじめ、かなり多くの学者、文化人、学生、勤労大衆から起り、各地で抗議運動がなされたことが認められる。右のように国会における新安保条約の審議、採決に関して政府および与党側の態度には国会の議事運営上穏当を欠くものとしての批判を甘受すべき余地のあつたことは窺われるが、所論のように、日本国憲法の基本原則である議会制民主主義を否定しようとし、その結果わが国の民主主義体制の危急存亡の時というべき非常事態を惹起していたものとまでは認めることができず、国民のすべてあるいは大部分がこれに対し抗議行動をなしていたとは認め難い。従つて、当時被告人らが右の状態をもつて民主主義体制の危機であると考えたとしてもそれは彼らの世界観にもとづく主観的見解に過ぎなかつたと解すべきである。してみると、原判決も説示しているごとく、被告人らが新安保条約の成立を阻止し、岸内閣の総辞職および国会の解散を求めるためにとるべき行動にも自ら限界があるというべきで、原判示のように、被告人らが多数の学生と共謀し、愛知県公安委員会の許可を受けず、あるいは、その許可条件に違反して集団示威運動を行つた行為は、以上説示のような具体的事態の下において、社会通念上許容される限度を超えるものであつて、刑法三五条の正当行為として違法性が阻却されるものとは認められない。なお、所論は、被告人らの行動は実質的違法性を欠き罪とならない、換言すれば、超法規的違法阻却事由が存すると主張するのであるが、刑法は、正当行為(刑法三五条)、正当防衛行為(刑法三六条一項)、および、緊急避難行為(刑法三七条一項本文)を違法阻却事由として規定しているのであり、右のような法規上の違法阻却事由のほかにいわゆる超法規的違法阻却事由を認めうるか否かは疑問であるといわなければならない。何故ならば、刑法三五条の正当行為の認められる範囲は広汎であり、法令による行為、正当の業務によりなしたる行為につき違法阻却とするばかりでなく、法秩序が許容する目的の範囲内において、法秩序が相当として許容した手段を行つた以上、正当行為のうちに包含されるのであり、もともと違法阻却事由の存否を定めるばあいには、公法、私法、慣習法など法秩序のあらゆる部門にわたる検討を行い、法秩序全体の精神に立脚して判断を行うものであるから、法規に何らの根拠をもたないいわゆる超法規的違法阻却事由をまで認める必要性はないというべきである。従つて、所論の実質的違法性を欠き超法規的違法阻却事由が存するとの主張は採用しえない。

つづいて、被告人らの行為は抵抗権の行使であるとの論旨について検討を加える。所論にいう抵抗権とは、国家権力が近代憲法の付与した基本的人権を権力によつて侵害する場合に国民が現憲法を守るために抵抗する権利であつて、革命、反乱とは異なり、現憲法秩序を守る最後の砦で、抵抗権の成立要件は、民主主義基本秩序に対する重大な侵害が行われ、憲法の存在自体が否認されようとするときで、不法であることが客観的に明白であり、一切の法的手段が最早有効に達する見込みがなく法秩序の再建のための手段に抵抗のみが残されていることであつて、被告人らの本件各行動は右要件を充たしているのであるから、抵抗権の行使として罪とならないものである、と主張するものと理解せられる。抵抗権とは、一般に法的手段を通じては除去することのできない極端な不法に対する最後に残された自然法上の権利であるとともに、その本質は基本的人権の主張、政治的権利の主張であり、国家権力の乱用による法の侵害、権利の侵害に対する抵抗権の行使は近代憲法における国民の権利であるとともに義務でもあると一部の学者によつて主張されている。しかしながら、抵抗権の合法性についての基礎づけは極めて困難な問題であり、未だに明解な理論を見い出すことはできない。また、学説上、抵抗権は、政府が憲法の基本原則である議会民主主義を否定し、民主主義体制の危急存亡の時に行使さるべきもの、すなわち、憲法の各条規の単なる違反ではなく民主主義の基本秩序に対する重大な侵害が行われ、憲法自体が否認されようとする場合で、不法であることが客観的に明白で、憲法法律等により定められた一切の法的救済手段が最早有効に目的を達する見込みがなく、法秩序の再建のため最後の手段として抵抗のみが残されている場合に行使さるべきであり、この場合における抵抗権の行使はまさに合法的であると論ぜられている。しかしながら、抵抗権の行使が合法的であるか否かの判断基準は何か、また、それを判定する者は誰かという未解決の問題を内包していることはいなめない。たとえ、抵抗権の根拠を人間の理性におくと解しても、各人はそれぞれ異なる価値観、世界観を有しているのであるから、各人の主観的立場から抵抗権の主張がなされることは避けられず、それは容易に法軽視、法無視の態度を醸成し、結局は無政府状態に堕する危険性が極めて大きいといわなければならない。このように考えてくると、抵抗権が行使されるのは法秩序の極限状態にある時というのほかはなく、抵抗権の行使は、世界観の対立、窮極においては実力対実力の闘争に帰着するのであるから、抵抗権はいわば法超越的な権利であり、まさに自然法上の権利であると把握するのほかはない。そして刑法に規定する違法阻却事由については、刑法その他の実定法の枠内において判断すべき性質のものであり、かかる自然法上の権利とみられる抵抗権を導入し、この権利の行使として刑法上行為の違法性は阻却さるべきであるとの所論は、刑法の領域においては採用することができない。そして、被告人らの本件各所為に違法阻却事由の存しないことは既に説示したとおりであるから、原判決が抵抗権の主張を排斥したのは結局相当である。

右説示のように、原判決には所論のような違法阻却事由についての事実誤認ひいては法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意について。

所論は要するに、原判決は、罪となるべき事実として、公訴事実と同趣旨の事実を認定しながら、検察官の被告人両名に対する各懲役六月の求刑に対し、各罰金六、〇〇〇円に処する旨の言い渡しをしたのは、その量刑著しく軽きに失し不当であるから破棄を免れない、というのである。

所論にかんがみ、記録を更に調査し、当審における事実取調の結果をも参酌のうえ検討するに、本件各犯行の態様、罪質、とくに被告人両名は各犯行について指導的立場にあつたもので、その犯情は軽視できないものがあるが、他面その動機をみると、昭和三五年五月当時時の政府岸内閣がアメリカ合衆国との間に調印を行い、その事後承認を求めるため国会に提出していた新安保条約の衆議院における審議採決をめぐり与党と野党との間に意思の疎通を欠き、衆議院が混乱に陥ち入り、同月一九日夜から翌二〇日にかけ衆議院において、新安保条約の審議が打ち切られ、与党である自由民主党のみの単独採決により同条約が承認可決されるに至つたが、右採決に至るまでの政府および与党の態度に非難が起つたことは前段説示のとおりであり、被告人らは右のような事態を報道機関を通じて知るにつれ、新安保条約は日本を戦争に巻き込む危険性のあるものであり、国会の状態はまさに民主主義の危機であると強く感じ、憲法を擁護しなければならないという純真な心情より、新安保条約阻止、岸内閣の総辞職、国会解散を求める抗議行動を推し進めてきたものであり、その行動の過程において逸脱した点があつたとはいえ、その動機を考慮すると、被告人らの行動に対し強い非難を浴びせるのは酷と思われること、本件各犯行による被害が甚大であつたとは認められないこと、その他被告人両名の年令、経歴、境遇等諸般の情状を総合考量するならば、原判決の量刑は相当として肯認することができる。所論指摘の諸事情を十分斟酌してみても、前記量刑が著しく軽きに失し不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り、本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文を適用して、全部被告人森賢一に負担させることとし、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例